2004年 第7回全日本選手権自転車競技選手権大会ロードレース
(エリート男子)戦記
                    シマノ、ブリヂストンの激闘!
                田代 恭崇(BSアンカー) 一瞬の勝機を捕らえ栄冠
 本年の全日本選手権は、4月30日オリンピック代表候補選考会を兼ねて「伊豆市」となった修善寺町の日本サイクルスポーツ
センタ−においてに行なわれた。代表候補選考会場として実に16年振りである。(”88年ソウル五輪選考会で開催)
11時丁度、JCF(日本自転車競技連盟)ランキング上位200名から選出された100名のエントリーの内98名が出走した。
 快晴に恵まれ正午の気温23.8度、西の風、3m/風速の絶好のコンデションであった。
昨年から本年にかけて国内主要競技会で優勝上位入賞の選手と海外でUCIポイント獲得のためヨーロッパで活躍してきた選手
の全ては出揃っていた。オリンピック代表候補選考会のため久しぶりで報道関係も30社近く来場しておりカメラを携えスタート
ラインを取り巻いていた。一般サイクルロードレースフアンも多数押しかけおよそ3,000人強サーキットコースに散らばっていた。
 世界のビックレースは常に200Kmを越えての競走であり、この距離に対応するため今回176Kmと設定された。
今まで開催したことのない距離でのレースである。平坦路のないコースであり、平地を含めての距離のレースからすれば体力
脚力消耗の度合いから200Kmは優に越える競走に匹敵する。あるベテランのトップクラスの選手が 「このコースでの176Km
22周は全くごまかしの利かないレイアウトで経験の少ない選手とベテランでも年令的に30台半ば以上の選手にとっては厳しい」
と語っていた。8Km右周りのコースは、1996年から始まったTour Of Japanで4回、全日本実業団選手権とインター・カレッジで
各1回の開催実績があるがいずれも距離は今回より短い。出走選手全員が始めての距離であるため経験した選手の着順上位の
実績者から優勝者が出るとみるのが妥当であろうと予想されていた。
 
          阿部 良之(シマノ)、福島 康司(B・S)がレースを引っ張った前半戦の展開
 スタートして1〜2周回は、各チーム様子見で若手陣が集団よりフェイント気味に飛びだして2〜3名が続く程度の静かな始まり。
3周日目通過後の2.4Km。このコース最高地点となっている通常にプラスされたコース3Kmの頂上。ここで早くも阿部良之、福島 
康司が他2名を引き連れて集団を抜け出し先頭通過。トップクラスの選手層の厚い2チームより仕掛けが始まる。
 7周回目の山岳頂上通過までこの展開で1時は集団を2分30秒近くまでりード。回が早すぎると見て愛三、ミヤタ、キナンの監督
は敢えて追撃せず。5周回目より集団からの抜け出しを先に仕掛けた三浦恭資(キナンCCD)に続き廣瀬佳正(シマノ)新保光起
(愛三)が、8周回目の登りで追いつく。中盤の9周回に入る時には、新保、三浦、福島(康)廣瀬(佳)阿部、橋川の6名。
回は早いことと、シマノ、ブリヂストンの主力を始めNIPPO,ミヤタ、愛三の有力選手が集団待機の状態でどのような展開になるか
非常に興味がもたれるレースの流れである。この段階ではスタートした選手の約1/2が脱落、45名が走路にいる状況。
 
          変化がなかった中盤の展開、頑張った先行6選手逃げもここまで
 12周回まで殆んど変化なく集団との差、1分30秒から2分30秒での周回であった。集団から脱落していく選手は周回毎に数名づ
つスタートラインで競走中止を告げられていたのが目を引くに過ぎなかった。メイン集団27名以下10数名ばらばらの状況。
13周回に入り、先行していた三浦選手がパンク、このため頂上通過では、調子が悪かったのか遅れだした新保光起と25秒の遅れ。
三浦選手は14周で追いついたが新保は後退。NIPPOのエース岡崎和也がこの周にパンクで、集団に復帰できず17周でリタイヤ。
 
          終盤のサバイバル、シマノ、ブリヂストンのマッチレース
○先行グループを見つめての有力チームの動き
 レースは後半戦に入り、16周回目の3Kmコース頂上登りで廣瀬佳正が遅れる。阿部良とともにチームカら優勝者を出すため
アシストとして先頭集団コントロールの役割を果したと見たい。パンクしたがよく追上げ先頭に戻っていた三浦恭資もここで遅れる。
 集団もこの回BSの水谷壮宏、鈴木雷太が先頭でスタンド前直線を1分40秒前後で通過し登りでその差を詰め始める。
U−23の資格であるがチームのためエリートにエントリーした若手のロード選手のホープ別府史之も集団の先頭で追撃の一助を
担っている走りが見られた。BSとしては現在の実績、力から福島晋一、田代恭崇に勝負を賭けての参加は誰でも分かっている。
 満を持して集団に待機していた主力チームのエースが動いたのはこの登りを過ぎてからである。急な下り、2つ目ののだらだとし
た1.5Kmに亘るスタート地点から5Kmを過ぎた2号橋を渡ってからの区間登り、そして1号橋に向っての急な下りを一気に走り
コース最後の登り500mを駆け上るまでの約5.5Kmでペースが上った。
 17周回に入る正面スタンド前では先頭グループが3名になり、集団が追撃体制になったとの場内放送で緊張感が漂った。
先頭3名の阿部、福島(康)橋川ペースは10周回以上の渾身の逃げのため落ちていることは通過時のラップタイムからも伺える。
 16周目通過のタイムは、本レース22回での最低に近いタイムである。(30.7Km/h)
今西尚史(シマノ)福島晋一(BS)を先頭に13名に絞られていた集団がペースを上げ通過した。この回の山岳頂上で誰がアタック
するのか、戦機は熟した周回になったと見られた。
 コース最大の高所に向い田代恭崇高(B・S)と狩野智也(シマノ)が集団を若干抜けだし山頂通過では、先頭3名に55秒差に
迫っていた。集団も離されず数秒でクリヤーし下りのコースで先頭を捉えた。17周目通過は、集団を抜け出した数名の選手を
加え次の11名であった。先頭今西尚志でシマノ勢は野寺秀徳・鈴木真理・狩野智・阿部良之・山本雅道と6名。2番手通過の
福島晋一のブリヂストン勢は田代恭崇、福島康司の3名、ミヤタ真鍋和幸と先行残りで橋川健(キナン)が含まれていた。
 愛三工業は先行集団に選手なし、約50秒遅れで別府匠が懸命に追い上げている走りが目に付いた。
 
○残り5周回(18周目)のトップ2チームの激突
 最高所通過で変化が起こる。田代先頭で狩野、福島(晋)野寺、今西、真鍋と続き通過した。鈴木、阿部のシマノ勢と福島(康)が
遅れた、山本、橋川は視界に入っていなかった。
 このままの展開で18周目通過した。、鈴木真理遅れるの情報はシマノサポート陣に衝撃を与えた。直前の実業団ステージレース
の3DAY ROAD 熊野を圧勝し、その1週間前の四日市で開催されたアジア選手権ロードで2連覇と敵なしの強さを誇りこのレース
本命で乗り込んできた選手である。確かにこの周回はスピードが上がっており一気に先行グループが吸収された周回でラップは
14分11秒で4番目(33.8Km)であった。
しかし先行集団にまだ3名のシマノ勢はいる。数の上ではBSに対抗できるメンバーと思えた。シマノ板東監督の作戦は如何に、固唾
を飲んで観衆が見守っていた。
 このままシマノとしては展開させるかどうか、ブリヂストンのツー・トップがおり優勝を狙うのに万全を期すためには鈴木を先頭に送
り込むのが得策かシマノの作戦の判断の岐路であったと思われる。
 板東監督としては、昨年の全日本で先頭集団で1人頑張っていた野寺秀徳が優勝した福島晋一とのスプリント勝負で敗れた思い
でが脳裏を横切ったのであろうと推察される。
 
○シマノの作戦を見抜いたブリヂストンの勝利
 先頭グループ6名の1/2を締めるシマノ勢はペースダウンし鈴木真理を向かえる作戦に出た。先頭で19周回のラップタイム取っ
た今西選手は15分59秒で最低のラップであった(時速30Km)このため鈴木真理は19周目除々に追い上げ、20回目に入る時点
で先頭集団に16秒差まで迫っていた。鈴木の追い上げを知らされたブリヂストンはペースをあげ田代が鈴木の追い上げを振り切
る先行に出た。
 ペースダウンした後の周回は必ずアタックが出る鉄則通り3Km延長のコース登りで1気にダッシュしそのまま下りを猛スピードで
突っ走った。正に当を得たアタックで、1瞬のタイミングでマークしていた 狩野智也は遅れを取っていしまった。残り3周回に入って
のフイニシュまでの20Kmたらずの地点、鈴木を待つ作戦が裏目に出てしまったと思われる。。ブリヂストンとしてはここを読んでの
アタックであった。鈴木は追いついたがすでに田代のスパートの後で後塵を拝してしまった。残り1周の田代の通過の走行は力強
く、ゴールは2位争いに注目された。最終回での先頭集団は、シマノでは今西尚志、鈴木真理、狩野智也、野寺秀徳の4人と、ブリ
ヂストンの福島晋一、ミヤタは真鍋和で、計6人。
 
○ 2位を確保したシマノのゴール勝負
 アテネ五輪の切符がかかっている本年の全日本は2位は、優勝と同等の価値がある。ブリヂストン浅田、シマノ板東、ミヤタ栗村
監督の胸中は想像を絶する状況であったと思われる。4名の選手がいるとはいえ板東監督は昨年の覇者でロング゙スプリントの利く
福島晋一の存在は脅威であり、1人1人の選手への指令は1つの判断の誤りもできない瀬戸際に立たされていたことであろう。
 援軍なし、真鍋和幸1人旅でベテランの力を見せ付けてきた。先頭通過するためには逃げにでなければ望みなく、シマノ4名の
壁を破ることは難しくゴール前「紛れ」の展開に期待するしかない。福島はチームとしては1枚切符を確保できる状況で気は楽であ
るが自らが2位にならなければ自分の切符は取れないので先頭通過をねらってくる。浅田監督としてはシマノの包囲をどのように
交わすかの作戦で全神経を集中していたと思われる。
 最終回6名の選手はアップダウンの厳しいコースを抜け出しをいずれの選手も狙っての走行であったが誰も抜け出せず、集団で
最後の登りに突入した。坂を上がり直線100m強のゴールスプリント50mまで誰も仕掛けず、ここで福島が勝負に出た。
続いたのは鈴木真理とマークでしていた野寺費秀徳、50mの距離のスプリントで福島の力から他を抑えられるように見えたがさす
が途中登りで1度離されたとはいえゴールスプリントでは国内1〜2を争う実力者鈴木真理が粘る福島の右側を20m手前で一気に
差し切りマークの野寺を引き連れ2,3位を確保した。本人が代表の座の選考の対象選手になったこともさることながらチームに1
枚の切符の可能性を提供したことは1988年以来、連続5度目のオリンピック出場のチーム記録を維持できた安堵感もあったこと
であろう。
(終わりに)アトランタ、シドニ−と五輪代表を出せなかったブリヂストンにとって今回の勝利は、国内自転車競技ロード発展のため
 ここ2〜3年に亘りヨーロッパでUCIポイント獲得のため参戦してきた成果である。誠に喜ばしく敬意を表する。前年に続き敗れた
とはいえ国内無敵のシマノレーシングは国内サイクルレースフアンの期待に応え五輪代表候補を獲得し、5期連続のチーム五輪
出場の期待をつないだことも激闘に華を添えたフィナーレであり、感動させられた今年の選手権大会であった。   (文責 南)